映画『わが青春に悔いなし』黒澤明監督と原節子がコンビを組んだ唯一の作品

終戦後初めて公開された黒澤明監督の『わが青春に悔いなし』(公開:1946年10月29日)。

戦時下の言論統制から解放されて、自由な作品制作ができると思いきや黒澤明監督の苦悩は続いたようです。

この記事では、黒澤明監督と当時の大女優・原節子がコンビを組んだ唯一の作品『わが青春に悔いなし』をご紹介します。

『わが青春に悔いなし』のあらすじ

再び戦争の足音が遠くに聞こえ始めてきた1933年、吉田山には人生を謳歌する人々の賑やかな声がひびいていた。

八木原京大教授は教え子を連れ立ってピクニックに来ていた。そこには妻と娘の幸枝もいた。

学生の糸川と野毛は幸枝に惹かれていた。

糸川は自分の立場を考え、常に自らを律する常識人。

一方の野毛は自分の考えを信じ間違っている感じたことには猛然と抗議する熱血漢だ。

性格がまったく馴染まない二人を幸枝も密かに意識していた。

穏やかな日々は突然起きた京大事件によって壊されてしまった。

軍国主義の煽りを受け自由主義を主張していた八木原が大学教授を罷免されたのだ。

教授職を諦めた八木原はその後、弁護士の職に就く。

教え子である糸川は検事になったが、野毛は左翼活動に突き進んでしまう。

月日は流れ、野毛と幸枝は結婚し家庭を築こうとしていた。

それに対し野毛は、反体制運動を指導したとして警察に投獄され、その獄中に命を落としてしまう。

 

映画『わが青春に悔いなし』のあらすじ

 

終戦間もない頃、戦国時代のジャンヌダルク的女性像をテーマにた作品を手掛けていた黒澤明監督。

GHQの要望を受け、民主主義意識を国民に広める映画を作ろうと本作「わが青春に悔いなし」の制作に取り掛かります。

敗戦直後の黒澤監督のノートにはこう綴られています。

「新しい時代は新しい人間の創造を求めている。我々は新しい時代の新しい課題を解決すべき、新しい人間としての自己形成を目指さなければならない。俺がやるのだ。」

最初に上がってきた脚本は最終的に採用されたものとは大きく異なり、戦時中に逮捕され極刑を宣告されたジャーナリスト尾崎秀美と劇中にもある京大事件とをヒントに組み合わせたストーリーで、左翼運動に突き進む野毛隆吉を前面に出した作品だったと言われています。

しかし、この時代は労働組合の力が強く、組合の意向を無視して映画の企画を進めることはできませんでした。

本作品も組合の審議を受けることになりますが、同時期に組合とのつながりが強い楠田清監督のデビュー作『命ある限り』と似ていると問題になります。

『命ある限り』も戦争期に戦争反対を主張しながらも政府の理不尽な弾圧に遭い投獄後に命を落としてしまう若者の悲哀が描かれていました。

問題を解決することを迫られた黒澤監督は脚本家・久坂栄二郎にストーリーの見直しを指示し、脚本の後半に大幅な修正を加えました。

戦後においてなお、自らの意図に反する修正を強制的に迫られるという苦い経験をした黒沢明監督の胸中は察するに余りあります。

しかし、劇中で描かれる原節子が演じる幸枝からは新しい時代の女性像を生み出す力強さを感じさせます。

これは原節子の熱演もありますが、黒沢監督の映像に力を持たせる演出の妙技がゆえでしょう。

 

いいかげんな大衆に対する黒澤節が炸裂する

『七人の侍』では状況に右往左往するだけの愚鈍な農民が描かれますが、本作でも大衆迎合主義への批判が作品の随所に散りばめられています。

それが『七人の侍』とは真逆の構図になっているのも面白いです。

戦争を止めるよう言い聞かせる主人公に対して戦争推進派に扇動されて主人公を攻撃します。

にもかかわらず戦争が終わり、平和を宣伝されると戦争は愚か者のする行為と平然と口にし反戦・平和主義を賞賛します。

この無節操な大衆の描写は黒沢監督が愚衆への怒りを込めたものだとも言われています。

 

映画『わが青春に悔いなし』の魅力

 

戦後GHQの監督下にあった日本で制作された本作は、戦時下に日本の軍国主義に沿ったかたちで作られた『一番美しく』とは真逆の作品なのかもしれません。

作品の公開にあたってGHQの検閲を受けていますから、その意向が強く出ているのは間違いありません。

主演の原節子は大和撫子のイメージを代表するような昭和の大女優で、黒澤監督よりも小津安二郎監督とのコンビが有名です。

劇中では日本政府が敵役のような演出が散見され、大戦後の映画だと思い知らされます。

本作が公開された時代から「日本はバカだった」論が長く日本にはびこると思うと少し悲しくもあります。

黒澤監督は戦時中の映画製作においても検閲で苦い思いをしたと語っています。

これから自由に映画が撮れるぞと意気込んで作ったものが本作だったわけですが、黒澤監督はどんな心持で取り組んでいたのでしょうか。

あくまで仕事として制作会社の意向に沿うようなかたちだったのかもしれません。

とはいえ黒澤イズムは本作でも堪能できます。

劇中、後半にある農村の場面では力強い構図と演出で、監督の非才さが発揮されています。

決して見なくていい作品ではありません。

監督の胸中に思いを馳せながら御覧になっていただきたいと思います。

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