『続姿三四郎』黒澤明監督はこの映画を制作したくなかった!?

全30作品の映画の中で、黒澤明監督の制作意欲が最も低い映画とされている『続姿三四郎』(公開:1945年5月3日)。

ヒット作『姿三四郎』の二匹目のドジョウを狙った東宝に、無理やり制作させられた映画であるとされています。

はたして『続姿三四郎』とはどのような映画なのか?私の独断と偏見でご紹介していきたいと思います。

『続姿三四郎』のあらすじ

 

二年間の旅から戻ってきた姿三四郎。

横浜に戻ってくると、アメリカの水兵が人力車の車夫の少年を怒鳴りつけていた。

見るに見かねた三四郎が、仲裁に入ると、水兵は三四郎に殴りかかってきた。

しかし、三四郎にとって水兵は子供同然。

三四郎は、巨漢の水兵をいとも簡単に港に投げ込んでしまいます。

そんな姿三四郎の雄姿を見物していた男がいました。

その男、興行師、『ボクサーと戦わないか?』と三四郎に近づいてきます。

『柔道は見世物ではない!』と断りながらも興行の会場に立ち寄った三四郎。

その会場では、アメリカ人のボクサーと日本の柔道家の試合が、まさに開始されようとするタイミングでした。

見かねた三四郎が柔道家に「やめなさい」と諭します。

柔道家は、こんな風に落ちぶれたのは柔道、そして三四郎のせいだ!といいながら三四郎の制止を振り払います。

アメリカ人のボクサーに挑む、落ちぶれた柔道家。

結局、柔道家はアメリカ人ボクサーにズタボロにやられてしまいます。

複雑な思いを胸にしながら、東京の修道館に戻った姿三四郎。

その三四郎を待ち受けるように2人の空手家が登場します。

その2人の空手家とは檜垣鉄心と檜垣源三郎。

映画『姿三四郎』の中で、三四郎との決闘で敗れた檜垣源之助の弟たちである。

実は2人は九州から兄のかたき討ちと三四郎を探しににきた空手家だったのです。

鉄心と源三郎は、兄の敵討ちをするために、はるばる九州から上京してきたのです…

決闘はしないという三四郎。

渋々と引き下がった鉄心と源三郎だったが、2人の矛先は修道館の門弟たちに向かった…

 

 

黒澤明監督は『続姿三四郎』を制作したくなかった!?

 

姿三四郎は「姿三四郎」の空前のヒットの二番煎じを狙った東宝が、黒澤明監督に無理や制作させた作品とされています。

そのためか、続姿三四郎は、他の黒澤映画にはない『B級感』で満ち溢れています。

ボクシングとの異種格闘技や西部劇風の決闘場面。

クライマックスの雪原上での決闘シーンも、ハチャメチャでナンセンスでありながらも迫力のある仕上がりになっています。

まるで『会社のゴリ押し企画なんだから、俺のやりたいようにやる!!』という黒澤監督の声が聞こえてきそうです。

黒澤監督がヤケクソになったことが効を奏したのか、続姿三四郎はナンセンスなB級娯楽作品としては最高作品です。

 

『続姿三四郎』の凄さ

 

物語は娯楽の少ない明治時代の設定、そして映画自体も娯楽の少ない1945年5月・終戦の3ヶ月前に封切された続姿三四郎。

この時代の映画にもかかわらず、軍国主義的な戦意高揚のニュアンスが極端に少ないと感じるのは私だけでしょうか?

軍国主義的な国策映画の要素を色濃く感じるシーンといえば、三四郎が外国人の水兵を海に投げ飛ばすシーンとボクシングとの異種格闘技戦で三四郎が外国人に圧勝することくらい。

たしかに、日本人が惨めな負け方をした後に、三四郎が外国人に力の差を見せつけて圧勝するあたりは、戦意高揚を狙った演出かもしれません。

ただ、全体的には娯楽映画を貫き通している作品の様に感じます。

話は変わりますが、太平洋戦争末期に公開された映画にもかかわらず、多くの外国人俳優が出演している事に驚きを感じました。

映画のなかの外国人は、間違えなくアメリカ人の設定です。

実際にはアメリカ人であるはずはなく、当時の同盟国イタリア人かドイツ人が出演していたのでしょう。

とはいえ、第二次世界大戦の最中に、例え同盟国とはいえ、外国人の俳優を招集することは、極めて困難であったと想像されます。

ここに、完璧主義として有名である黒澤明監督の片鱗を感じざるを得ません

また、この作品は軍部の愛国主義的な価値観とそれに抵抗する黒澤監督のせめぎ合いを想像せざるを得ない作品となっています。

しかし戦時中という自由の無い時代に、子供でも楽しめるような作品に作り上げたこと自体、改めて黒澤明監督の凄さを感じる作品ともなっています。

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