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『八月の狂詩曲』(黒澤明映画第29作品あらすじと解説):欧米で猛烈な批判を浴びた反核映画

1991年(平成3年)5月25日に公開された映画『八月の狂詩曲』。

この映画の原爆投下謝罪のシーンは、その内容が欧米で猛烈な批判を浴びました。

この記事では、黒澤明監督の29番目の作品となる『八月の狂詩曲』をご紹介します。

映画『八月の狂詩曲』 あらすじ

 

 

長崎郊外で暮らす鉦おばあちゃんのもとに、兄から手紙が届きました。

文面を読み進めていると、現在ハワイに住んでいるという兄は、現地で富裕層として生活をしているとのこと。

鉦おばあちゃんに、ぜひハワイへ来てほしいとの言葉が綴られていました。

鉦おばあちゃんは、兄からの手紙を気にかけながらも、ハワイへ行こうとはどうしても思えませんでした。

鉦おばあちゃんに代わって、鉦の子供たちが喜んでハワイへ旅立ちました。

子供たちがハワイで過ごしたひと夏の間を、鉦おばあちゃんは孫たちとともに長崎で静かに過ごしました。

後にハワイから、鉦の甥にあたる兄の息子、クラークが長崎の地を踏むことになるのです。

兄の手紙が届くまでは、祖母と孫たちは疎遠でした。

クラークは日本とアメリカの両方の血が流れていました。

長崎は原爆の悲劇に見舞われた街。

その長崎で、祖母と孫たち、クラークとの心の会話が始まるのでした。

 

映画「八月の狂詩曲」 解説

 

もともと、「八月の狂詩曲」は、「鍋の中」という村田喜代子さんの原作を元に構成された反核映画でした。

「鍋の中」では、過去に原爆を体験した長崎の祖母のもとを訪ねた4人の孫たちが、祖母と過ごす間に体験した出来事を描いています。

孫たちにとって長崎はとても田舎で、最初は退屈な日々を送っていました。

しかし、ふとした場面で戦争の残した傷跡を肌で感じる日々が続きました。

戦争を知る世代から当時の状況を直接聞く機会もあり、子供ながらにも戦争に対しての思いを考える夏となりました。

「八月の狂詩曲」も「鍋の中」も、どちらも季節は夏です。

長崎に原爆が落ちた季節です。

反核について、静かながらもずっしりと重みのある内容が続きます。

戦争反対、核兵器反対という内容が当時としてはあまりにもストレートすぎたことから、国内外から賛否両論の意見が飛び交いました。

とりわけ、リチャード・ギアが熱演したクラークが、鉦に謝罪するシーンは欧米から多数の批判の声が届きました。

そのような中でも、思わず言葉を失う情景的なシーンがありました。

美しい木々が並び、空から降る雨のシーンは壮大な圧倒感を感じました。

「八月の狂詩曲」のラストシーンでも、その思いが反映されています。

長崎に原爆が投下された日に、空に浮かんだキノコ雲。

人々は、「空を覆ったキノコ雲が、人を睨みつける巨大な目のように見えた」と表現しました。

このキノコ雲を象徴する空と目の合成技術も、当時は有名となりました。

黒澤明監督は、ヴィム・ヴェンダースさんとの対談でこのように語りました。

「緑は本当に大変でね。自然のままじゃ美しく映らない。ライティングスタッフが工夫していろいろやってくれてる。本当に彼らは優秀だよ。」

「本当に雨が降る説き、どうなるかを良く考えろっていうのね。

例えば、激しい夕立が来る前は突風が巻き起こって埃が舞って、ポツッ、ポツッと雨粒が落ちてくる。まず、自然をしっかり観察すること」と。

 

「八月の狂詩曲」 感想

 

孫たちが少々大人びていた気がします。

役の年齢相当以上の演じ方で、見ていて時折辛くなりました。

思えば、黒澤明監督作品を振り返ると、「夢」では子供にあまり多くを語らせませんでした。

「まあだだよ」では、おじいさんに子供の役を演じさせ続けました。

「夢」「まあだだよ」、この2作品と比較しても、孫役を演じた4人の子供たちに大人びた会話を続けさせたこの「八月の狂詩曲」を見ていると、心が少しだけ痛みます。

確かに心は痛みますが、でも、それでいいのではとも思っています。

例えば、子供たちと祖母の会話は、話の内容がかみ合いません。

しかし、かみ合わない中でも、少しずつ外の景色が開けてきます。

確かに昔、長崎には原爆が投下されました。

それ以来、原爆で人生を破壊された人達の時計は止まったままです。

それだけでも心が重いのに、さらにあのリチャード・ギアまで登場します。

祖母とあの人気俳優のギア様が静かに並ぶ、ふたりの夕暮れの情景は、何とも言えない想いを受けます。

例えが適切か迷いますが、世代を超えて愛を語り合うカップルのように思えてしまいます。

長崎の八月。猛暑の中で、真っ赤なバラが咲いています。

そのバラに向かいただ前進する、アリの行列が印象的です。

その昔大勢の人間が一瞬で亡くなった長崎で、あの日と同じ夏、アリたちが一生懸命に生きています。

クライマックスが近づくにつれて、祖母の言動が不安定になります。

嵐の中を飛び出していくシーンでは、さすがに悲しい出来事が起こるような予感しかしません。

その中で、突然流れてくる「野ばら」の合唱は、その場のシーンをがらっと変えてしまいます。

人間の存在なんて、自然の威力や過去からつながる歴史の中では本当に小さなものです。

そんな状況でも、傘をおちょこにしながら勇敢に風に向かってびくともせず突き進む祖母のあの姿が、非常に印象的です。

バラへ向かい進むアリの行列から感じられた生命力を、ここでも感じることができるような気がするのです。