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『生きる』(黒澤明映画第13作品あらすじと解説):黒澤映画の最高傑作と評価するファンが多い作品

1952年(昭和27年)10月9日公開された映画『生きる』。

この映画こそが黒澤映画の最高傑作であると評価するファンも多くいます。

この記事では、黒澤明監督の13番目の作品となる『生きる』をご紹介します。

映画『生きる』のあらすじ

 

 

主人公の渡辺勘治は市役所に長年務めている市民課課長だ。

日々回ってくる書類に黙々と判子を押すのが彼の仕事。

書類の中身に目を通すことも精査をすることもない。

若い頃はそれなりに持っていた仕事への情熱も「余計な仕事は増やさない」というお役所体質が蔓延した職場の空気に流され、いつしか失ってしまった。

そんなある日、渡辺は自分の余命を知る事になる。

余命半年のがんの宣告。

突如降りかかってきた死という恐怖に渡辺は、否応なくそれまでの人生を振り返ることになる。

走馬灯のように巡るこれまでの日々。

渡辺は死の恐怖と現実から逃れるように自暴自棄な生活を送るようになる。

皆勤だった仕事を無断欠勤。

貯金を切り崩しての酒場巡り。

そんな日々を送ったところでむなしさは募り、渡辺の病と余命を知らない家族には呆れられる始末だ。

家族からの冷たい視線を浴びた翌日、渡辺が町で偶然再会したのはかつての部下・小田切だった。

小田切と会う事を重ねる中で渡辺は彼女の奔放な生き方と若い生命力に魅了されていく。

その憧れを口にするように自分ががんに冒され、余命わずかな事を告白した渡辺に、小田切は事も無げに「課長さんも何か今から作ってみたら?」と言い放つのだった。

 

映画『生きる』解説

 

「生きる」は黒澤明監督が古巣の東宝映画で4年ぶりにメガホンを握った作品であり、「七人の侍と」並び称される最高傑作である。

トルストイの小説「イワン・イリッチの死」にヒントを得て作られたこの作品。

黒澤監督は「死を宣告された人間が余生をどのように生きるか」を問うている。

「生きる」というシンプルで強いメッセージを込めたタイトルと共に、親子の断絶、お役所仕事と揶揄される官僚主導への批判も盛り込み、人間の生きがいとは何か、を真っ直ぐに突きつけられる内容だ。

この映画で最も有名なシーンは、渡辺が手がけた公園のブランコをこぎながら「ゴンドラの唄」を口ずさむ場面だろう。

真冬の公園、静かに降る雪、揺れるブランコと渡辺。

この叙情的なシーンは真冬の設定でありながら実は真夏に撮影された。

疎塩や石灰で代用した雪と静かな役者の演技、証明とカメラワーク、その全てが相まって心に深く刻まれる名シーンとなっている。

寒さを表現するために敢えて夏に撮影する黒澤監督の流儀には脱帽するほかない。

この有名なシーンもさることながら、秀逸なのはなんと言っても渡辺の通夜だろう。

物語の中盤、小田切の「何か作ってみたら」という言葉に触発されて店を飛び出す渡辺。

その次のシーンではすでに亡くなった渡辺の通夜が描かれるのだ。

参列者の回想によって明かされていく渡辺の人生。

残された余命をどういきるか、その道を渡辺が見いだした瞬間から一転して通夜という構成は、鮮烈な驚きを今なお与えてくれる。

そういう意味では公開から60年以上経った今でも、決して古い映画とは思えない作品なのだ。

 

映画『生きる』感想

 

この映画の秀逸さは「主人公の死がラストではない」というところです。

陳腐な映画ならば死までの過程をたどり、いかに生きたかを主人公自身に語らせるのでしょうが、黒澤明監督は違います。

生きていた頃に関わった人々が主人公の人生を、人となりを語る事でより鮮明に「その人が生きた様」を浮き立たせています。

人生の中で人は一度くらい死んだも同然の状態に陥る瞬間を経験すると思いますが、そのたびに再生して生まれ変わることができる、そう黒沢明監督は伝えたかったのかもしれません。

そしてまた、死んでなお人は生き続けるということも。

「課長さんも何か作ってみたら?」その小田切の言葉に「今の自分でも何かを成し遂げたい」と立ち上がった渡辺の強さと再生を祝福するかのように演出されたシーンも見所です。

「生きる」というたったそれだけのことが、どれ程尊くもあり難しい命題なのかを問うこの作品は、何かを成し遂げたいと懸命に生きる人々の対極としてお役所の公務員や官僚、政治家を登場させます。

ともすれば事なかれ主義に流されがちな社会の中で、人が「幸せにいきるとは」というテーマを主題にしています。

同時に「何かを作り生み出す」事を通して「生きた証を残す」生き方を提示しているのではないでしょうか。